私は、原爆で甚大な被害を受けた広島市の戦後の歴史を、国境の外、とりわけ米国とのかかわりに着目して研究しています。研究をしていると、地域レベル、あるいは個人レベルの交流関係が、国家レベルの外交とはしばしば異なる様相を見せつつ、大きな役割を果たしてきたということが明らかになってきます。この「越境」という視点から眺めることで、広島の原爆被害をめぐる歴史叙述が形成されてきた過程をあらためて検討することを目指しています。
歴史学を研究することは、社会の過去を知ることだけでなく、我々の生きる現在がどのように作られてきたかを考えることでもあります。そして現在の社会が抱える問題の由来を理解することは、未来に向けてよりよい社会を築く手がかりにもなります。その意味で、歴史学は社会と深い関わりを持つ、とても「役に立つ」学問です。
とりわけ昨今の日本社会では、アジア太平洋戦争の中で、日本が内外の人びとに多大な被害を与えたという反省が薄れつつあり、国内外で懸念を招いています。それゆえに、広島・長崎の原爆被害など、アジア太平洋戦争をめぐる歴史叙述の形成過程を見つめ直すことの重要性はいっそう高まっていると考えています。
また歴史学は、文書史料の読解を中心に、碑や絵画、モノなどの史料を幅広く調査し、緻密に検討して、考察の結果を論文などのかたちで発表する営みです。研究にあたっては(ほかの分野と同様に)先行する研究を渉猟し、正確に理解することも求められます。大学で歴史学を学び、こうした調査・分析・執筆能力を身につけることは、社会のどのような分野で仕事をする場合でも、かならず生きることでしょう。